● 僕は右翼でも左翼でも無く中道だけれど、割と色々近所に住んでた元Y売新聞の方に戦時中の話を聞いてたので、
そういう話を検索して読む事もある。今興味あるのは沖縄内の慰安婦の方々のいた慰安所について。
(沖縄の)女性たちの戦争体験の所とか。
そういう慰安所も朝鮮人の方々がいたとなると、当然日本軍指示で作られているって事になる。(6/8 9:12)
● 右はドキュメンタリー映画監督・山谷哲夫氏による「沖縄のハルモニ」(1980年刊行)より。
慰安婦を売春婦と言っているのは沖縄現地の方の証言なので、彼女らがそうなる経緯については詳しくないと思う。
重要なのは当時の司法の検事正を官舎から追い出してまで沖縄軍上層部が慰安婦たちをそこに入れたという事で
その後彼女らが各師団に派遣された、ともあるので、沖縄の軍が中継をしていたことは間違いないと判る部分。
日本の法とか検察とか、沖縄ではどうでもいいどうにでもなると日本軍は考えていたのだろうか。
自分は慰安婦の人々が来たいきさつは色々あると思うし、ケースバイケースだとは思ってますが
いずれにしても沖縄にも朝鮮人慰安婦などがいたことは間違いなく、沖縄の陸軍の責任も明白。(7/2 8:01)
● 引用画像追加。まとめた画像の下段の前2ページ分。沖縄戦のために朝鮮半島から6千人近い軍夫と
慰安婦が借り出されたとある。しかし沖縄戦の準備のための慰安婦数は(この当時には)判明していない。
ただ沖縄戦需要で集められたとなると、彼ら彼女らを要求したのは当時の沖縄陸軍上層部という事にしかならない。
後から呼ばれた慰安婦たちが日本人軍人のみを相手にしたのかと言われるとこの場合解らないが。
一般論として、この手の資料が見つかりづらい理由には、戦火に焼かれたケース、米軍が占領時に接収して
母国に持ち帰ってしまったり、日本軍は「恥」を嫌ったので本当に廃棄されたケース、また、
生死を問わず当時軍人の関係者や右派の人々が沖縄の人々から資料を収集したあげく、公表しなかったり、
もしくは公表するとしてもごく一部とし、一般成人の目には触れないよう抱えてしまったりなどがある。(7/4 5:12)
それでも上のようなホームページもあるし、語り部の人々が県内で伝えている事も多いんだろうとは思う。(5;41)
例えば80年代初頭に、義務教育の学校で主任制が導入された際、自分の通ってた戦争教育とかの厳しい中学でも、
教員たちの反対運動でストライキ休校などがあったんだが、要するに中央からの右派教員が主任として来ると、
地域での反戦教育などがどれだけ阻害されるか??・・・というのと似た問題なのかもしれない。(7/4 8:57)
まぁ学校でも警察でも、中央右派からの主任というのは地元の現実事実や史実を無視するって事かも。(9:50)